数年前のことだが私は2年ほど塾で働いていたことがある。
私が勤めていたのは京都にある小さな塾だった。生徒数は全校舎の全生徒を合わせても500人いたであろうか。専任の講師は各教科に一人ずつ。学園長が英語、塾長が国語、その他2人の講師が数学と社会を担当しており、私は理科主任であった。あとはバイトが数人おり何とか回っている状態である。私は就任前にその塾で半年ほどバイトをしており、その後私のことを気に入った塾長、学園長が私を理科主任に誘ってくれたのであった。
みなさんは塾という職場をどのようなものとお考えだろうか?
実は塾というのは総じて超適当な職場なのである。普通の会社とは大きくことなり、上司や同僚との関係が非常に薄く、また服装も割りと自由がきき、どちらかというと少し道を外れた感じの人が働いている。私が勤めていた塾は昼の1時出勤で、終わりはだいたい夜の11時から12時半ごろであった。つまりまともに普通の会社で働けない人が集まっているのだ。ちなみに給料は非常に少ない。
そんな塾にも人間ドラマは山ほどある。楽しいことも悲しいこともむかつくことも。生徒は10歳から15歳であり常にガチンコ勝負の日々なのである。今日は第一回塾講編ということでそのむかつくこと、つまり「ふざけた生徒及びその親」を中心に書いてみる。ここでいう「ふざけた」というのはもちろん「なめた」「むかつく」「決して許せない」といった意味である。
ふざけた度:★
最初のふざけた君は当時小学校4年生であった。彼は学年No1の秀才であった。入塾テストでも一番であったし、小テストでも常に一番であった。が、彼はその年で既に怠けることを覚えていた。例えば私が「はーい、みんな。今から30分間でこの練習プリントやりますよー!最低2枚はやりましょうねー!できる子はもっともっとやりましょうねー!」なんて言うと、普通の小学生は一生懸命全速で取り組み、自然と枚数を競い合いながらどんどんやっていくものである。が、他の生徒がそうやってがんばっているなか、彼は30分ぎりぎりいっぱいかけてちょうど2枚しかしない。それもペースを調整しながら、あたかも全力で取り組んで30分めいいっぱいでちょうど2枚やり終えた振りをするのである。若干10歳で楽することを覚えているというのは一体どういうことなのであろう。先が不安であった。
ふざけた度:★★
次のふざけた君は当時中学3年であった。彼は見た目はジャイアンに似ており、実際友達の間でも大きい顔をしていた。彼はよく遅刻した。しかしあんまり悪びれないのである。私が勤めていた塾は地域密着型の小規模塾であり、生徒の生活態度にももちろん口をはさむ。ある日私が彼を注意した。「おい!遅刻するな!ちゃんと時間通りこい!」。彼はすねた。そして予想もしない行動に出た。なんとそのまま家に帰ってしまったのである。そしてお母さんに泣きついたらしい。ここでさらに驚きだったのはそのお母さんのとった行動である。彼女は塾に電話を入れ、学園長を指名し、「うちの息子が遅刻しようとどうしようとうちの勝手でしょ!お金を払っているのはうちです!」と捲くし立てたそうだ。学園長が謝り事は落ち着いたが、私は少なからずショックを受けた。子が子なら親も親なのである。
ふざけた度:★★★
次のふざけた君は小学校4年生であった。そう最初の秀才君のクラスメイトであった。今回のふざけた君はクラスで最も出来の悪い子であった。出来の悪い子にも一生懸命愛を注いで教えるのは講師の役目である。それは何も問題ない。そう彼自身には問題はなかったのだが、ふざけているのは彼の両親であった。彼の両親はともに小学校の先生だったのにである。小学校の先生というのは、必然的にたくさんの子を見て教えてきたわけであり、小学生を育てることに関しては最もプロフェッショナルな方々なわけである。しかしそこの両親は根本的におかしかったとしか言いようがない。
新年度が始まって間もないころ彼の母から塾に電話があった。私が応対した。
母「来週以降、その次の週にやる範囲を全て教えて欲しい。」
私「はぁ・・。構いませんが・・。基本的には予習はしてきていただかなくてもだいじょうぶなようにしてありますが。塾自体が小学校の予習のような形でありますし・・・。」
母「いえ、塾で授業する分も前もって予習させないと。ていうのも。ある程度予習させていかないと、もしもうちのXXXちゃんが授業中に内容がわからなったり、他の子が手を挙げている時にうちのXXXちゃんが手を挙げられなかったりしたら、うちのXXXちゃんが引け目を感じてかわいそうでしょう??」
私「・・・。わかりました。」
この小学校教師の母親は一体何を考えているのだろう?そういうことならば家庭教師でも雇えば良いのではないだろうか。そもそも自分が教えればいいのではないだろうか?その後もこの母親からは予習範囲の細かい内容、その他もろもろについて何度も電話がかかった。私は所詮雇われの講師であり、お金を払っているのはその母親である。丁寧に「はい。」「はい。」と応対するしかない。私も全力を尽くしたが、その子は結局最後までそのクラスで一番できなかった。彼は今どうなっているのであろう。あの親では心配である。
ふざけた度:★★★★
林という子がいた。当時彼は中学2年であった。彼はとてもとてもふざけていた。対照的に彼の父親はめちゃくちゃ硬派であった。林と彼の父親は林が中学一年の時当塾にやってきた。開口一番林の父は言い放った「うちの息子を男にしてやってください。何発殴ってくれてもかまいません。うちの息子が怪我しようが骨折ろうが一切文句いいません。すべてお任せします。しごいてやって下さい。お願いします!」そして林に半ば強引に頭を下げさせながら、父も深々と頭を下げた。
林は人間的には超ポジテティブ思考であり、背は学年最小、彼の好きな女の子の名前は学年中に知れ渡っているというやつだった。頭の出来は決して悪くない。ただ彼は勉強しない。どうしても勉強しないのである。これには我々講師陣も深く悩まされた。
ある日私の堪忍袋の緒が切れた。もちろんそれまでの林の愚行の積み重ねがあってのことだったのだが。私が塾の中であれほど怒ったのは後にも先にもこれが一回きりであった。その日の彼は、一番下のクラスの子が1時間で平均8枚ほどできる超簡単な練習プリントを2時間かけて1枚半のみこなした。私は怒った。そこに不幸にも学園長まで通りかかり、二人掛かりであの手この手で40分間説教した。単に怒鳴る、諭す、説得する、友達の努力の話、お父さんの話、情に訴える話、やれる限りのことを尽くした。くたくたになった。40分後我々は言った「わかったな。もう行っていいぞ」。すると林は僕の顔を見てこう言った。
林「はぁ。そうめん食いたいわぁ。先生そうめんゆがいて。」
私「???・・・」
彼の思考回路は一体どうなっているのだろう?私にはそのそうめんがどっから湧いて出て来たのかも不明であるし、何が何のことであるのかさっぱりわからなかった。もう我々から言ってやれることは何もなかった。学園長と目を合わせ、彼もまた言葉が無いのを確認した。そしてとにかくただただ愕然とした。
ふざけた度:★★★★★
最後のふざけた君は当時中学1年だった。
そもそも塾講師というのは教室の中ではカリスマなのであり、言いたいことは何でも言う。そして生徒はそれを信じついてこようとする。だから大げさに言うと、私も生徒に夢を与えるような先生になろうとしていた。そして努めて正しいことを教えてようとしていた。よって社会での様々な出来事をビシバシ批判する。2000年当時社会に名を轟かせていたオウム真理教も私が授業中に批判したものの一つであった。
ある日の授業、私は言った
「みんな、最近オウム真理教とかあるけど、あんなんについて行ったらあかんねんで!」
授業自体問題なく進んだ。そして授業後一人の生徒が私の元にやってきた
生徒「先生。ソンシの悪口をいわないで下さい・・・」
私「!?!!??」(やってしまった。これはヤバイ)
私「いや、まぁ私にも宗教の自由と言論の自由はあるからな。」(様子をみながら)
生徒「ソンシの悪口を言わないでください」
私「次からはこの話はせえへんから。」
生徒「・・・」(帰って行く)
これには私も肝を冷やした。そう彼はオウムの在家信者のお子さんだったのだ。人並みに考えられる全ての不幸を想像した。とにかく怯えた。
彼はそれからも毎週毎週授業に来続けた。そして毎週授業後講師室にいる私を訪れ「先生、これおどうぞ」と言ってオウム幹部の生写真を置いていった。私は頑なに拒否したが、彼は「どうぞ」と言って無理やり写真を置いていった。1枚目は「上祐ブロマイド」だった記憶がある。私はそれらの写真を捨てるに捨てられず、講師室の棚の端っこにそっとためていくことにした。
1学期の最後の授業の日彼はなんとカセットデッキを丸ごと持って来た。中にはカセットが入っているのが見えた。
生徒「先生、これどうぞ。」
私「どうぞって・・こんなん困ります。」
生徒「いえ、うちの親が「持っていけ!」と。」
私「いや、でも先生はこういうのは頂けません。」
生徒「とにかくおいていきます。」
そして彼は帰ってしまった。私は真っ青になった。「もしも再生ボタンを押して爆発でもしたら・・・。」が、同時に愚かな感情も芽生えていた。「見届けたい!何が起こるか見てみたい!」こんなときに役立つのがバイト君である。私はまずそのカセットデッキにコンセントを挿し、そして講師室の角に置いた。そして私自身は講師室の反対の角に逃げ、半ば机の下に頭ごと潜り込みながらバイトの榎本君を呼んだ。
私「榎本先生!ちょっとその再生ボタンを押してもらえませんか?」
榎本「???これの再生ですか?なんで自分でされないんですか?」
私「いや、いいからちょっと押して!」
榎本「なんかあるんですか?(私を見ながら)変ですよ!」
私「いいから押して!」
榎本君はしぶしぶ再生を押した。するとファンキーな歌が塾に鳴り響いた。
「ショショショショショショショショショペペペペペペペペペペペペペペペペ・・・」
言わずとしれたソンシの歌である。私は爆発しなかったことにいささかの不満を覚えつつもとても安心した。
まとめ
塾にはさまざまなお子さんが来ている。子は親の縮図とはよく言ったもので、生徒の数の分だけ異なった家があるのだ。小5の望ちゃんは真っ白の毛皮に豹柄のミニスカートで登校していた。3者面談ではお母さんはもちろん予想通りのど派手かっこうでやってくる。そこまでわかりやすくなくとも、本当に子はよく親を表している。いろいろな家の子が来ている分だけこっちも物言いには気をつけなければいけないのだ。右翼の家の子、やくざの家の子、オウムの家の子。何年もやっていれば絶対に全て担当することになる。口は災いのもと。しかし教壇では講師はカリスマ。ついついやってしまうのである。